2012年 ベティーさんと行くペルー訪問  実施報告(後編)
 2012/6/11

リマ

日秘文化会館

フランシスコ・大石
さん

エルフィ・ロハス
さん

エンリケ
さん
  6月11日早朝、ホテルをチェックアウトして、空港の在るフリアカに向かいます。空港でツアーのアンケートを頼まれたので「ホテルのシャワーのお湯が出ない」と書いてノエリアに見せると「えぇ、知ってるわ !!」と平然と応えました。最低気温が0℃近くになる町のホテルで温水シャワーが使えないことが重大な欠陥ではない社会が、そこには在りました。過剰なほどの夜間照明、冷暖房に給湯設備等を当然のように思い、大量のエネルギーを消費して地球にストレスを与えている自分たちの生活に、疑問と反省の念を抱きながら飛行機に乗り込みました。
 飛行機はリマへ行く途中、アレキパに寄りました。空港の直ぐ近くにまるで富士山のような標高5,822mのミスティ山がそびえていました。


 リマ空港ではベティさんの叔父さん、フランシスコ・大石さんが出迎えに来て下さいました。ホテルには大石さんのお子さんとお孫さんも来ておられ、メンバー全員が大石さんご一家と対面することが出来ました。
 大石さんはガイドをされており、昼食をご一緒した後、リマ市内を案内していただきました。大変流暢な日本語での冗談、洒落を織り交ぜながらのガイド振りや若々しいご様子に、とても86歳というご高齢には思えませんでした。大石さんが開口一番「この国では日系人は大変優遇されています。だから日系人にとっては大変住みやすい国なのです」と話し始められました。1899年に最初の移民団が到着してからの歴史を話していただきました。当初、移民の方々はお金儲けをして日本に帰るつもりだったので、荒稼ぎをして地元に貢献するようなことが無かった為に、1940年に多くの日系人の店が襲われ略奪される事件が起きた事。しかし、その数日後に大地震があり、新聞の見出しに「日系人を襲った罰が下された」と報じられた為に、排日の気運が一気に終息した事。日系人達も大いに反省し、勤勉で誠実な人種として現在では特別に一目置かれる存在と為った事等々。戦後教育を受けた大半の日本人が自覚することの無い「日本人としての民族の誇り」といったものが、戦前に日本から移住された人々の子孫の方々に、しっかりと受け継がれていることに感動を覚えました。

 
ヨーロッパの古い町並みを思わせるようなスペイン統治時代の美しい建物を沢山見た後、1996年12月に起きた「在ペルー日本大使公邸占拠事件」の現場となった、旧大使公邸に行きました。玄関扉には銃弾が貫通した穴や内側から頭が半分覗いている銃弾が当時の儘残っていました。日本にいる私達には遠い過去の事件ですが、現地の日系の方々にはまだまだ忘れられない事件なのだと思いました。




 市内観光の最後に「日秘文化会館」に案内していただきました。ペルーの漢字表記が「秘露」であることから名付けられています。9階建ての大変立派な建物で壁面に「CENTRO CULTURAL PERUANO JAPONES」の文字が掲げられています。大きな劇場や広い日本庭園もあり、日本文化の紹介や講座等が行われる等、日系人社会の活動拠点となっています。ちなみに大石さんは此処の理事長や会長を歴任されたそうです。

 



夕食は、大石さんとベティさんが名古屋のペルー領事館で働いていた時の上司のエルフィ・ロハスさんも加わって、レストラン「CALA」で豪華ディナーをいただきました。残念な事は、「高山病」はかなりの難敵でメンバーが順番に体調を崩していき、この時点でも豪華ディナーを充分楽しむことが出来ないメンバーが居た事でした。




 ホテルに帰ると、以前高浜の企業で働いておられたエンリケさんが面会に来ておられました。「高浜で働いて貯めたお金を持って帰ることが出来て本当に良かった!」と言っていただき、一町民としてとても嬉しく有難く思いました。
 6/12

ナスカ地上絵
 6月12日、今日は旅行最後の観光「ナスカ地上絵遊覧」です。午前5時、バスでホテルを出発し、飛行場のあるピスコまで4時間の行程です。外はまだ暗く、連日の過密スケジュールの疲れも有り、メンバー全員再び夢の中へ。明るくなって外の景色が見えてきました。まるで砂漠の中を走っているように、バスは一面砂の中を進んでいきます。両サイドに見えてきた、本当に人が住んでいるのだろうか?と思うような四角い箱のようなバラックの群れは、アンデスから下りてきた人々が無許可で国有地に建てた住居だと、ガイドの石井さんの説明でした。

 フリアカには9時過ぎに着きましたが、ナスカ上空に霧が発生しているので、視界が晴れるまで待機です。11時30分、10人乗りのプロペラ機に乗り込み滑走路に向かいましたが、離陸中止。他の空港からの遊覧飛行機が優先され、私達は13時30分発に延期されました。いよいよ遊覧飛行に出発です。往復に50分、地上絵遊覧15分で60分強の飛行時間。離陸して暫らくは雲海の上を飛行していましたが、ナスカに近づくと視界が晴れてきました。眼下には荒涼とした荒野と開拓された農地がくっきりと境を作って広がっています。再び荒野の上空にさしかかると、副機長の「クジラ、クジラ、いま、いま、羽根の下、羽根の下」というアナウンスと同時に、機は右旋回、そして左旋回と続きます。

 
宇宙人
、猿、ハチドリ、コンドル、クモ、オウム、木、手と、それぞれの地上絵の上空で右へ左へと旋回の連続でした。荒涼と広がる大地に描かれて不思議な数々の「絵」。不思議な畏怖の念と、やっと出会えた感動とを同時に感じながら左右に揺られていました。 
 6/13
(6/22)
旅の終わりに
10日間に及ぶ「ペルー訪問」も帰路に就くばかりになりました。親戚の方々と過すために居残りをするベティさんとガイドの石井さんに見送られて、訪問団の7名は真夜中のリマを飛び立ちました。

 現在高浜町には9ヶ国の外国籍の方が200名ほど居られます。「多文化共生社会」を目指すうえで、それらの方々が育んでこられたそれぞれの歴史や文化を理解することは、とても大切なことだと思います。今回の「ペルー訪問」はそうした意味からもとても有意義な事業でしたし、今後も高浜在住の外国籍の方と故国を訪問するという、この事業を継続していきたいと思います。ベティさんをはじめ、この事業にご協力頂いた皆様に心より感謝申し上げます。
                                       平成24年6月22日 

                                          ここまで読んで頂きありがとうございます。  
                                                       ← 前編へ

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